新年度が始まってあっという間に二ヶ月が過ぎましたね。
新社会人のみなさんはまだまだ慣れない職場で大変なことも多いのではないでしょうか。
かく言う私も就職して初めの一年間は結構ハチャメチャでした。
新卒の時、病院に就職し看護師をしていましたが、そこは“女の職場”の代表。やっぱりいろいろありますよね。
私も例にもれず女性特有の人間関係に悩んだひとりです。
今は看護職を離れ、海外でやりたいことをやりたいようにする生活を送っていますが、今日はそんな私の新人時代を少しだけ振り返ってみようと思います。
なお、この記事は完全に自分の思い出話として書いています。
読み終わったところで得られるものは特にないと思われますので、初めにお断りしておきますね。
看護師として働き始めたあの日
もう何年も前になりますが、地元の医療系大学を卒業した私はそのまま地元の総合病院に就職。
学生という極めて自由な立場から、社会人という責任ある立場になることへのどきどきとわくわくで、胸がいっぱいだったのを覚えています。
配属先は希望していた脳外・脳卒中科。
とは言え、当時働いていた病院はどの科も混合病棟と化していたので、実際には内科から外科まで幅広い患者さんと接していました。
世間一般では新人教育にあたる先輩社員のことをメンターと呼ぶかと思いますが、医療業界にはプリセプターなる存在がいます。
新人看護師はプリセプターからの叱咤激励を受けながら看護業務や社会人としての振る舞いを覚えていくわけです。
私にももちろん、プリセプターがついていました。
私のプリセプターは院内でもコワイと有名で、経験二十年ほどにもなる大ベテランでした。
周りの誰かに「プリセプター誰なの?」と聞かれて「○○さんです」と答えようもんなら、「あ~・・・○○さんね、頑張って」と苦笑いされるような人です。
もしかすると、今てんやわんやしながらも頑張って働いている新人看護師の方は、こうしたやり取りは身に覚えがあるかもしれませんね。
ないと願いたいですが。
プリセプターとの付き合い方に悩む
就職して半年ほどが経つと仕事にも慣れ、夜勤の流れも一通り分かるようになりました。
そして日に日にプリセプターとも上手く付き合えるようになっていきました。
これくらいの距離感を保っていれば、イケる、という謎の感覚も手にいれました。
プリセプターの指導は厳しかったですが、経験を積んでいる分、言葉に重みがあります。
だいたいのことは素直に受け入れられました。
しかし、それを私に言うか?とか、そんな言い方するか?とか、到底納得いかないようなこともありました。
同性ならではの妬み嫉みというのでしょうか。
おそらく異性であればこんな思いする必要はないであろうと思いながら過ごしていました。
でも、そういうのも次第に聞き流せるようになるというか・・・。
プリセプターからのありがたい言葉を受けながら、これも彼女なりの愛だろう、とか、プライベートで溜まったストレスを職場でまき散らしたいのだろう、とか、“とにかく都合良く解釈する”という能力が養われていきました。
そしてこのまま残りの半年も頑張って、無事に一年目が終わればいいなと思っていた頃、プリセプター制度が廃止されることに。
そこで、新しく導入されたのがチームナーシング制です。
近年ではチームナーシング制を取っている病院がほとんどではないかと思います。
知らない人のために念のため説明しておくと、例えばそれまで看護師一人が5~6人の患者さんを担当していたとします。
それがチーム制になることで、看護師二人で10~12人の患者さんを担当するという風に変ります。
常にダブルチェックできる体制にして、看護師の負担を減らしたり連携を取りやすくしたり、というのがこのチーム制のメリットだったと記憶しています。
で、チーム制になったところで何か問題でも?と思いますよね。
当時、新人だった私にとってチーム制になるというのは一大事でした。
それまで指導に当たってくれていたコワイと有名なプリセプターとはここで一旦離れることになりました。
これはまあ、一安心と言えば一安心。しかしチーム制になったことで、部署全体でペア決めをすることになったのです。
もうお分かりかと思いますが、ここでペアを組むことになった先輩が、やばかったわけです。
ただ一言だけ、やばかった。
ペアを組むことになったのは経験四年目の先輩でした。
看護師としては一人前ですが、そうは言っても歳は近い。
最初に指導にあたってくれていた大ベテランのプリセプターと比べると、ずいぶん接しやすいだろうと思っていました。
しかし、そんな私の考えは甘かった。
私はヒステリックな人が苦手です。というか嫌いです。
所かまわず声を荒げて人に当たったり、モノを投げたり。
ペアを組むことになった先輩はそういうタイプの人でした。
それまで深く関わったことがなく、彼女のこうした一面は知らなかったのですが、ペアになってからというもの、彼女の発言ひとつひとつに怯えながら働いていたような気がします。
あの時言われた言葉の数々は今でも覚えているんですが、それは嫌な記憶としてではなく、もはやネタとして残っています。それくらい、強烈でした。
新人時代の後半、今までのプリセプターとはまた違い、ヒステリックなおねーさんと一緒に働くという更なる困難にぶち当たることになった私。
それでも最終的には無事、一年目を終えました。しかし、この時彼女から言われた一言がまあ衝撃でした。
おそらく、この先誰からも言われることがないと思いますが、
「アンタで元が取れたわ♡」
(↑気持ち文字を薄くしておきました)
と言われ、思わず固まってしまいました。
年度末、結婚を機に退職していった彼女が私にかけてくれた激励の言葉です。
可愛らしくハートなんか付けていますが、この時の彼女は満面の笑みで、全てのストレスから解放されたかのようでした。
多分、語尾にはハートが付いていたと思います。
聞くところによると、彼女が新人の頃もまた、強烈なプリセプターがついていたそうで、毎日涙を流しながら働いていたとのこと。
そういう指導を受けて鍛えられてきた経験から、自分も新人には同じように接するぞという確固たる決心のもと、私の指導にあたっていたそうです。
“元が取れた”というのは、ほんとにその言葉通りの意味でした。
そんな衝撃の捨て台詞を吐いて退職していった彼女ですが、私はある意味ほっとしました。
今思い出してみてもあのヒステリックさは結構なものだっと思います。
いくら腹が立っていようが人前でそんな態度するか?というような。
もちろん周りには他のスタッフや患者さんがいるわけです。
なので、私は相当嫌われているのだろう、私は相当仕事ができなくて先輩をいらつかせているのだろう、とかなりネガティブなことを考えていました。
でも、彼女の新人時代の話を小耳に挟んだことにより、あんな風に声を荒げたりモノに当たったりしていたのは何も私のせいではなかったのかもしれない、と安堵の気持ちに覆われた記憶があります。
あれは単に、“元を取る”ための行動だったのだ、と。
そう思ったら、まじでいろんなことがどうでもよくなりました。
辞めた今でも看護師の仕事は魅力的だと思う
何やらおも~い話になったので、ここはひとつ爽やかな写真でお口直し。(笑)
ニュージーランドで住んでいた家の庭にはレモンの木がありました。
熟れたレモンをちぎってはちみつレモンを作ったり、コールスローサラダに入れたり、チーズケーキに入れたり。
日本ではレモンの木がある家ってあまりない気がします。
熟れたてのレモンを使って料理ができる生活、ずいぶん楽しませてもらいました。
さて、話を戻します。
私は今は看護職を離れています。
退職理由は仕事がきつかったからとか、精神的に疲れたからとか、そういうことではありませんでした。
年数を重ねるごとに任せてもらえる仕事が増え、新人教育や実習生指導にも関わるようになり、委員会活動でも成果を残すことができました。
ラダーも順調にレベルを上げていき、とても楽しい時期に退職しました。
ではなぜ、そんな楽しい時期に辞めたのか。
それは海外に行きたかったから。理由はただそれだけです。
物心ついた頃からぼんやりと海外生活に対する憧れがあり、次第にいつかは絶対海外で暮らすんだという思いが強くなっていきました。
大学を出てすぐに海外に出るという選択肢もありましたが、せっかく取った看護師の資格を使わずして海外に行くのもなんか違うな、と思ったので病院に就職することを選びました。
そして、看護職から離れた今、少し考えてみました。
学生に戻って進路選択を迫られるとしたら、また看護職を選択するだろうかと。
きっと選択しないと思います。
きつかった新人時代はさておき、あのきつい実習をまた一からするのかと思うと、想像しただけで逃げたくなります。
ですが、看護師の仕事は本当に魅力的だと思います。
こう言うと自分の思いとは少しずれてくるので、もっとはっきり言います。
“看護師の資格を持っている”というのは魅力的なことだと思います。
正直、一度資格を取ってしまえば何度だって復職できるのが看護師です。
つぶしがきく資格を持っているというのは、なかなか心強いものです。
言い方は悪いですが、看護師免許は“良い保険”になると思っています。
退職して海外で好きなように生きている今は、看護師に戻るなんてことは考えられません。
でも、もし10年後とか、この先機会があればまた看護師をやってみるのもいいかもと思っています。
そんなお気楽なことを言ってられるのも、“良い保険”があるからこそのこと。
そう思うと、看護師という進路選択をした当時の自分に、よくやった!と言いたくなります。
ただ、私は看護師の仕事そのものも、もちろん好きでした。
しんどい思いをしている時、「頑張ってるね」「○○ができるようになったんだね」と声をかけてくれる患者さん達には何度も救われました。
支え合えるのは同期に限ったことではありません。
患者さん達も新人である私のことをよく見てくれていました。
人と関わるのが楽しくて仕方ない、そう思えるのがこの仕事の醍醐味だったと思います。
自分へのご褒美は、後からたくさん返ってくる
私は今、看護職から離れて語学を学んだり海外での仕事を見つけたり、外国人パートナーと過ごしたり。
昔の自分から見ると信じられないような行動力で進んでいる自覚があります。
これも全て、新人看護師をやり切ったという事実と自信が背中を押してくれているからのように思います。
新人看護師だった頃、「あれだけしんどい実習を乗り越えたんだから、できないことなんてない」と思いながら突っ走っていました。
そして退職し、海外で新たな目標に向かって頑張っている今は、「あれだけしんどい新人時代を乗り越えたんだから、できないことなんてない」と思いながら頑張っています。
そうすると、なぜか根拠のない自信でいっぱいになります。
思い返せば「看護師 辞めたい」でググりまくっていた時もありましたが、今となってはあれは完全に時間の無駄だったと思います。
だって今があるのはどう考えたって、あの時歯を食いしばって頑張った自分がいるからなので。
過去の経験が財産になるだなんて、気付けるのはどうせ後になってから。
というわけで、多分また三年くらい経ったら、今経験していることも大切な財産となり、将来の自分を支えることになるんだろうと思います。
というか、そうであってほしいと願っています。
それこそ“元を取る”精神かもしれません。
私は基本的にケチな性格なので、自分のやったことに対する対価はきちんと受け取りたいと思って生きています。
ここで例の先輩を反面教師にして、人を使って元を取るのではなく、自分で何か頑張ったのならその分はきっちり結果を出す、そういう意味で元を取る人生を歩んでいきたいと思います。
思い出を振り返っていると収拾がつかなくなってきたので、この辺で終わろうと思います。